-
ありがとうございました
-
2017.03.26 Sunday 17:36
お祝いして貰いました
いのうえさんからメタリカのパーカーとスマートロープ!
初日間近のバタバタの中にも関わらず、極上の思いやりを頂きました。励みます。僕はまだまだこれから。気を入れ直して、劇場稽古へ! -
まわっているのはわたしかせかいか
-
2017.03.19 Sunday 21:56
分かってはいたけどやっぱりとんでもない劇場です。客席、ちょっと普通じゃない体験です。やる側はね、慣れてしまえばまぁそんなに大きく変わるもんじゃないです。スタンバイのための移動距離がその都度短くなったり長くなったりするくらいで。出てしまえばやることは変わらないです。変わっているのは僕たちじゃなくて、あなたたち。3ヶ月でおよそ11万人のお客様がご覧になる訳ですから、どのように感じられるのか、色々と意見が分かれると面白いんじゃないでしょうか。いずれにせよ「演劇とは何か」についてもう一度考えざるを得ない、そんな状況が生まれます。これはその絶好の機会。新しい事というのはだから価値があるんですね。ひとまず僕もあなたも、思いきり味わって楽しんで、その後でせっかくだから色々考えてみましょうか。 -
メモ2017.3.11
-
2017.03.11 Saturday 14:10
殺陣はセリフとおんなじ
順番:
1.手を覚える
2.手の意味を理解する
3.相手役と交わる
4.緩急を加える
5.感情(テンション)を乗せる
6.抑制を加える
型がある以上千本ノックが出来る、などと最初は喜んでいたが、セリフと一緒でただ漫然と繰り返す事にはさほど意味がない、という事を知る。そもそもセリフというのだって台本に書かれた型じゃないか。型の中に嘘と本当があるのは、躍りも歌もセリフも殺陣も、全部おんなじ。合気道もおんなじ。本当を感じるためには、結局どれも相手が必要で、ひとりで繰り返している内は全てただのウソ。それはこの世のあらゆる事においてそうなのかも知れない。モノローグには観客が必要。演劇には観客が必要。わたしにはあなたが必要。わたしたちがお互いに感じ合えればウソはとても贅沢なホントになる。ものを感じなくなった世界では全てのウソが空々しい。 -
ぜぃぜぃ
-
2016.12.19 Monday 00:13随分先の事ではありますが、
そんな先の事。の。稽古をしています。
少しずつ。塗り重ねるように。
ぜぃぜぃ
乾くまで。
馴染むまで。
ぜぃぜぃ
ところで。
この、何処へ行ってもアウェイ感は。
いつからかしら。
いつまでかしら。
「ホームに帰る安心」とは無縁なこと。
それこそが僕という人間で
いつからか。
それこそが僕の演劇。
内的な。外的な。
新しい価値との出会い。
ただそのために。
ぜぃぜぃ。
する。 -
ワタシハシンゴ
-
2016.11.20 Sunday 22:50
ヤブケ マシタ
ダンサーレベル ガ イチ アガッタ
プレビュー ッテ ナンデスカ -
わたしは真悟
-
2016.11.08 Tuesday 21:15
これは名古屋のテレビ塔、テッペンは180メートル。
サトルとマリンが飛び降りるテッペンは333メートル。タワーオブトーキョー。展望台じゃなくて先っちょ333メートル。なんでそんな事ヲしますかネ、というフィリップの問いに楳図かずお先生は、「子供がそのくらいの事しない限りキセキなんて起きないと思った」と言ったそうな。詳しくは当日パンフレットの対談をお楽しみに。うん。多分ね。
楳図かずお先生が起こしたかった「キセキ」とは何でしょうね。即物的なものでない事だけは確かです。その辺に想いを馳せながら。ワタシタチに必要なキセキとはナニカ。稽古は続きます。 -
稽古とクリエイション
-
2016.10.29 Saturday 18:47
ついに届きました。18年ぶりの全面改訂。集英社さんから。荒木飛呂彦先生も!
シンゴトハカンケイアリマセン。
シンゴハネ、稽古してイまス。
クリエイション。稽古とクリエイション。稽古はある程度決められた事を反復して精度を高める作業で、クリエイションは、日々新しい発想で壊しては創り壊しては創りを繰り返す作業。現場ではその両方をバランス良く絶妙なタイミングで往復する必要がある。日本人は基本前者に偏りがちになる。フィリップ・ドゥクフレというヒトは、極端に後者のヒト。
トップダウンではない稽古場は久しぶりとは言え、ここまで丸投げされると流石に手も足も出ない自分が残念。その部屋にいる人間は全員が対等で、誰しもが常に、その場に一石を投じる権利と義務がある。え?それ以外にどういう方法があるの?なフランス人。確かに、ことフィジカルシアターに関しては、分業は意味をなさない。「役者サン」であって良い瞬間なんてない。脳みそをひとつにして常に「クリエイト」シテいかないと。
イマ ケッコウ タイヘン -
我思えども、稽古は終わる
-
2016.06.18 Saturday 01:55クズグズ言ってる内に稽古が終わってしまいます。明日から通し稽古→オケ合わせに突入しまして早くも本番体制です。冗談ですよね。まぁ、冗談だと思う事にして。商品化を焦らず、猪突猛進玉砕覚悟のトライ&エラーを続けます。空振りかホームランしかしたくないんです。
稽古休みは、トラムと新国立ハシゴ。コペンハーゲンしてあわれ彼女は娼婦。ちょっとしたヒントを貰う。材料がまだまだ足りない。とにかく足りない。ルキーニちゃんを探す旅は続く。 -
僕は、思う。
-
2016.06.09 Thursday 21:35演劇は多様性を受け入れるための優れた訓練なんだと思う。作り手にとっても受け手にとっても。そのためにはまず人間の多様性を認め、或いは発見し、それと出会わなければならない。
どうすれば演劇表現は一色になる事を回避できるのか。まずその表現はファンのため、或いはある特定の観客層に向けられたものであってはいけない。もちろんそれも多様性の一つとして認められない事はないのだが、もし作り手と受け手の間で予定調和が確約されている場合、それはもはや前提として演劇である必要がない。
「待ってました!」「いよっ!」「これこれ!もっとたっぷり!」そういった楽しみ方はあくまで興行のための必要悪として存在するんであって、演劇の本質とは異なる。この認識を持つ事は極めて重要だと思う。
その作品が真に多様性を獲得するためには、つまり誰のものでもない演劇になるためには、自分たちの表現を何度だって疑ってかからなきゃならない。自分たちの表現を、自分たちの環境を、自分たちの常識を、自分たちの中に無意識に溜まった全ての因習を。
この困難に打ち勝った時初めて、演劇が生まれる。考え方の違う、好きなものが違うひとたちが一ヶ所に集まって、ほんのひととき、「我々に共通する何か」について考える事が出来る。そんな「場所」が生まれる。
それが、演劇、だと思う。 -
研究家になろう
-
2016.05.18 Wednesday 02:10ちょっとしたドラマの撮影終わりました。詳細はまた後日としまして。各ジャンルを横断する事はかくも本質を炙り出す。そんな夜。
今年入ってから、口語を喋ってみたり漫才みたいな事やったり、劇的な言語や詩を喋ってみたり、お堅い翻訳言葉を喋ってみたり、お堅い翻訳言葉をどこまでやらかく出来るか煮込んでみたり、急に歌ってみたり、また口語に戻ってみたり、毎度の事ながら全くとっちらかっている。どれも結局は一緒だろ!気持ちだろ、心だろ!なんて悠長な事は言ってられません。それぞれにそれぞれがとても目眩がするほど異なります。
けどね、
例えば料理研究家は色んな食材の色んな活用方法を知っているでしょ。世界中の物を食べ歩く訳でしょ。僕はね、誤解を恐れずに言えば、演技の、芝居の研究家になりたいんです。俳優ですから。ならにゃいかんのです。僕がとっちらかってるんじゃなくて、芝居を取り囲む環境そのものがとっちらかってるんだから、色んな所に散らばったピースを集めて一つに組み直したらいったいどんな絵が出来上がるんだろう。そんな夢をもう長いこと見ているわけです。大きい芝居も小さい芝居も、一回全部まぜこぜにして、生まれ直さなきゃいけない。見渡す限りの蛸壺全部素手で叩き割って、色んなタコをごちゃ混ぜに混ぜたい。そいで新種のタコを、作り手も受け手も一緒になってみんなで産み育てたい。何年かかってでも。僕たちはもうそういう時期に差し掛かって来ているんじゃないかという直感があるのです。その時に僕が出来る事は、言葉を扱う専門家になること。そのためには気が遠くなるような沢山の種類のコトバをこの身体に入れること。その事に。その事だけに今は興味があります。だから、そう。色々やります。目下、トウホウエリザ蛸。とても人気のある蛸のようです。ひとまず身体に入れてみましょう。世界を変えたいと思ったらまず自分が変わること。
いよいよ文章自体がとっちらかって来ました。この辺で。読んでくれてありがとうございました。
- ←back 2/14 pages next→