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2024
『未来少年コナン』 原作:日本アニメーション制作「未来少年コナン」
演出/振付/美術:
インバル・ピント
演出:ダビット・マンブッフ
脚本:伊籐靖朗
音楽:阿部海太郎

▼東京
5/28(火)-6/16(日)
@東京芸術劇場プレイハウス

▼大阪
6/28(金)-30(日)
@梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ


NEW
カンパニー デラシネラ 『松本清張 点と線』

原作/松本清張
作/演出/小野寺修二
美術/二コラ・ビュフ

7/27(土)-28(日)
@神奈川県立青少年センター紅葉坂ホール


NEW
『ピローマン』
作/マーティン・マクドナー
演出/小川絵梨子

▼東京
10/8(火)-27(日)
@新国立劇場小劇場


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2025
『イリュージョニスト』 作/ピーター・ドゥシャン
作詞/作曲/マイケル・ブルース
演出/トム・サザーランド

▼東京
3月
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4月
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-- 映画 ----------------
『Vivo ビーボ』

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続・俳優のメモ
2017.11.27 Monday 02:37

演劇は集団創作だから、ワタシの表現も、ワタシの出会い直しも、無条件に必要とされる訳ではないヨ。

「お前の気持ちなんてどうだっていいよ」について。

作品そのものが真に「表現」と呼べるものになるために。個人ではなく、「集団」が表現しているように、「作品」が表現しているように見えるために。


個人が「にせの感情の明快さ」で押しきる自己顕示は、前提として表現と呼べるものではない。しかし、一人一人の個人が「生活で取りこぼした漠然とした感情」を拾い上げることは、集団創作にとって本来歓迎されるべきことで。まずは、個々の「いまここにいる実感=ワタシとの出会い直し」。集団がそれによって繋がり、「いまここにいる実感」の複数になったとき、集団が何かを表現するようになる。それが本当の化学反応。「個性」なんてものを、自分と向き合うこと無く無前提に信じてはいけない。与えられた環境を通して、自分と向き合う。向き合ってる人間に感化されて、誰かも向き合う。向き合われた個人の複数。拾い上げられたたくさんの個人たち。の集まり。戯曲はそのあと。出来れば配役もそのあと。実際のところ、それさえあれば、既存の戯曲がなくても、十分に伝わる。戯曲はそのための媒介。この関係が、観客席まで含めた一つの大きな集団創作にまで広がる事が出来たらなあ。劇文学の上演でその関係を作ることは今のワタシたちには難しい。ありがたがっちゃうから。みんなで。よく知らないくせに。表現は過程。演劇は過程。上演は媒介。それで初めて「やる行為」も「みる行為」も表現。だから意味があるというお話。だから感想には自信を持って下さい。何か話したくて仕方なくなったら、それがアナタの表現。ただし、「批評」とは区別すること。それは専門家の仕事です。


安直な「自己表現否定派」の意見として、「作品に奉仕する」というのがある。しかしこの美談は、結局のところいつも、技術で塗り固められた「キャラ芸」でしか実践されない。そこには概念化された虚構の自己しかいない。取りこぼした「曖昧な自己の感情全体」と能動的に向き合う努力を放棄する言い訳に過ぎない。その表現は、相手に狙った感情を喚起させることを目的としたもので、作品を盾に自己も他者も決めつける。その態度は技術の高低に関わらず、周囲に伝播することはない。作品を隠れ蓑にして、役を言い訳にして自分を隠し、何も見せず、何も貰わない。上手ですけど、あなたがいまここで生きていなければ、作品はいまここで生きていない。

例外的に、自己顕示する事自体が生を実感する事とイコールなひとがいる。輝いているけど、ひとり。集団創作には向かない。主役をやらせるか、ソロデビューさせるか。


ともあれ、


ワタシたちに必要な関係。劇場ないしは演劇の場で、ワタシたちがいま生きているよね、という確認。俳優はその時、灯台のような役割をするのかも知れない。
| 成河(そんは) | 雑感 | comments(11) | trackbacks(0) | pookmark |
表現という仕事はきっと
2017.11.26 Sunday 03:35

勇気づける、とか元気づける、というのとは違う。相手に特定の感情を喚起させることを目論むことではない。自分が「いま」「ここ」で生きていることを実感すること。日常で取りこぼした「自己」と自分自身がそこで出会うこと。行為を通して「思い出す」こと。その様を臆面もなくみてもらうこと。その結果として、繋がること。繋がるかも知れない、と願うこと。

仮に。いま。そんなとこ。
| 成河(そんは) | 雑感 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
三十六歳の地図
2017.11.21 Tuesday 18:46
今月はたくさん芝居を見ました。「芝」「居」とは観客席の事ですから、そういう意味ではたくさん「芝居」を「しました」。あらためてこちら側から演劇に参加して、またたくさんの思考が産まれました。何故「芝居」を、誰と、何のためにするのか。古代ギリシャに習い、民主主義において演劇を一つの大きな会議だと捉えた時「そこに居る全員の意見が一緒だと会議をする意味がない」、という事を強く感じました。今やどのジャンルも、興業的な成果を上げるためには、同じような層の観客をまるごと抱え込む必要があります。そこでは「違い」に目が向けられる事が少なく、そういう会議はなんというか、ただの時間潰し、消化試合のような気がして捗りません。何を観ても、作品の良し悪しではなく、観客を含めたその構造に目が行ってしまうのは悲しい事ですが、それがどんなものであろうと芝に居る人たちが同じように観て同じように感じること、そしてそれを強いることには抵抗があります。蛸壺が割れて、もっと根本からぐちゃぐちゃに混ざって、「芝居」が混乱する。感想が錯綜する。「違い」について考え始める。それをしなければいけないんだな、といくつかの作品を観て思いました。僕が演劇を始めた頃はまだしも残っていたものが、どんどん減って来ているような気がします。

演劇には「新しい考えを産む」とは別に、もう一つ「共同体を維持する」という力がありますよね。簡単に言うと、明日も頑張ろう、と思える力です。これは既に、もう長いこと、ライブコンサートがその価値を最前線で担ってきていると思うのです。目的を一つにしたライブコンサートという演劇には、絶大な効果と価値があるように思えます。問題は、興業的な都合で、その二つの価値を行ったり来たりしていること、そうしている内は僕たちはどこにも行けないのではないか。ライブコンサートのフリをした芝居。芝居のフリをしたライブコンサートでは、創り手も受け手もこれ以上の成長は見込めないと痛感します。

足を運んだ、とあるライブコンサート、そして新生ロッキー・ホラー・ショウは、妥協のない技術、こだわり、想いの詰まった完璧なライブコンサートでした。その価値を完璧に突き詰めたライブコンサートは完璧な演劇でした。僕は演劇畑ですから、ミュージシャンには嫉妬と羨望がありますが、そういう意味ではロッキー・ホラー・ショウには明るい可能性を頂いたような気がして元気が出ました。面白かった。

映像技術が発達しています。絵画を見るように作品を見るのであれば僕たちはその表現を全て映像作品に委ねるべきです。良い演技がしたかったり見たかったりしたら、映像表現を研究し、没頭すべきです。舞台ならなんでもかんでもハクがある。やればハクがつく。見ればハクがつく。そんな時代はとっくに終わっているように感じます。

「新しい考えを産む」のか、「明日も頑張ろう」と思うのか、「演技がしたい(見たい)」のか、いま僕の頭の中の地図は、とっちらかりながらも、少しずつ大陸を形成しかけているような、そんな心持ちです。

| 成河(そんは) | 稽古場 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
関門海峡時間旅行を終えて
2017.11.18 Saturday 04:04


いま出会うべくして出会った、場所と人と人の想いと。これまでといまとこれからと。今回の旅で、僕は表現活動をする上で最も大切な要素の一つ、「必然性」という言葉に出会いました。

関門海峡には平家物語を語る必然性がありました。そして僕が実際にその目で見て感じたことを語り、表現することには必然性がありました。そういう行為を通して関門海峡をより広く知って欲しいと願う現場の方々の想いには必然性がありました。そのそれぞれの必然性が螺旋のように繋がり絡み合った時、何か僕たち全体を前に進めてくれる推進力が産まれて来るような気がしました。「自分と向き合う」ことは、すなわち「自分の中にある必然性と向き合う」ことだと気づきました。演劇の稽古というのはその必然性を見つけるためにあるものです。そして、演劇はそもそも、僕たちがそれぞれに持つ必然性の中から、共通する部分をお互いに見出だし、それを見直し、更新して行く行為そのものなのです。このことが、今回、たくさんの出会いを通してようやく腑に落ちました。この2日間の全てが、僕にとって大きな大きな演劇でした。

さて、

必然性のある物語というのは貴重です。そのおはなし、何故いまなのか。何故ここなのか。何故私たちなのか。必然性が高いほど力強く、そして伝わるものになります。生活が歴史を塗り潰してしまうような都市では、必然性のある物語を探すのにとても苦労します。実は演劇は大抵、どこの国でも、都市を離れた所の方が面白いのです。面白い、は適切じゃありません。「力強い」のです。手軽に見れないのだから当然と言えば当然ですが。


さて、

演劇をやる必然性。演劇を観る必然性。は、いまとても難しいです。資本主義社会が求める必然性というのは、利潤を産むこと、独占、そしてコマーシャルです。「いいね」がどれだけ貰えるか、です。ファンが増えることです。フォロワー数が増えることです。再生回数が増えることです。そこで目指されるのは、「誰もが見たいと思えるもの」、「誰もが素晴らしいと思えるもの」です。

ですが、

そんなものが本当にあるのでしょうか。それは僕たちに本当に必要なものでしょうか。自分にとって特別な必然性を見つけた人はコマーシャルを必要としなくなります。コマーシャルとはつまり「他の人の意見」と考えてみることが出来ます。僕たちは日本で活動する以上、資本主義を肯定しなければいけません。悪いと言いたい訳ではありません。肯定したまま、「必然性」を見つけたり、更新したり、そう在ろうと努力することはとても難しいけれど、きっと出来るんじゃないかと思うのです。思いたいのです。

優先順位を「コマーシャル」ではなく「必然性」に持つこと。大げさに言うと個々が「必然性至上主義」になること。自分にとって必然性のないものに「NO」と言えること。そうすることで、無意識に、知らぬ間に独占に加担してしまう自分を、ほんのわずかでも食い止めることが出来るんじゃないか。そう、疑うこと。そこで出来た隙間に、演劇は辛うじて産まれる可能性があります。なんと言いますか、これが僕たちにいま最も必要な態度なんじゃないかと。今回の旅は、そんな事を考えさせられた、とてもとても。とても有意義で涙の出るほど有難い時間でした。本当にありがとうございました。

受け取ったバトンは、また僕にとって大きな「必然性」をもたらしました。これを「ご縁」と言うのだなと思います。これを渡して繋いで行くことが次の必然性であり、喜びです。まだまだ何も備わっていない自分にとって、いま確かに必然的だと思えることだけが僕を生かしてくれている。いまそんな風に思えます。

| 成河(そんは) | 公演中 | comments(10) | trackbacks(0) | pookmark |
関門海峡時間旅行
2017.11.16 Thursday 22:53

お先にやって参りました。門司港。関門海峡!源平のみならず、歴史好きにはたまらない、濃い「物語」が詰まりに詰まったスーパースポットでした。アレもここ!?ソレもここ!?で好奇心が止まりません。巌流島と壇之浦が同じところにあるだなんて。どれ程の人が知っているのでしょう。沢山の専門家の方々の貴重なお話に時間がいくらあっても足りない、濃密な1日でした。詳しくは明日のweb生中継にて、たっぷりお届け致します。

明日17日金曜日
19:00〜20:30

インターネットによる生中継。コチラからご覧頂けます。
是非ご覧下さい。
| 成河(そんは) | 告知 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
霜月に
2017.11.06 Monday 14:05

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走り出す前の師を訪ねてまわる。

| 成河(そんは) | 稽古場 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
終わりました
2017.11.03 Friday 03:48

何はともあれ

全ステージ、終了しました。

ありがとうございました。

苦味も旨味も、
全部飲み込んで
また次に進みます。

また一緒に。
| 成河(そんは) | 公演中 | comments(13) | trackbacks(0) | pookmark |
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