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ありがとうございました3
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2017.03.31 Friday 11:58
初日あけました。
古ちん先輩から瓶コーラをケースで。
残すところあと
84ステージ! -
ありがとうございます2
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2017.03.29 Wednesday 16:21
捨ちゃんから頂きました。セグウェイ?のボードのやつ。もう歩くのが面倒くさくなるくらい快適な乗り心地です。秀吉軍を迎え撃つために髑髏党2万、みな練習しておくように。
さて。ゲネラルプローペ。明日は初日。たくさん稽古したので、全部忘れて、あとはお客さんに育てて貰います。楽しく、日本で初めてを、一緒に!! -
ありがとうございました
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2017.03.26 Sunday 17:36
お祝いして貰いました
いのうえさんからメタリカのパーカーとスマートロープ!
初日間近のバタバタの中にも関わらず、極上の思いやりを頂きました。励みます。僕はまだまだこれから。気を入れ直して、劇場稽古へ! -
まわっているのはわたしかせかいか
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2017.03.19 Sunday 21:56
分かってはいたけどやっぱりとんでもない劇場です。客席、ちょっと普通じゃない体験です。やる側はね、慣れてしまえばまぁそんなに大きく変わるもんじゃないです。スタンバイのための移動距離がその都度短くなったり長くなったりするくらいで。出てしまえばやることは変わらないです。変わっているのは僕たちじゃなくて、あなたたち。3ヶ月でおよそ11万人のお客様がご覧になる訳ですから、どのように感じられるのか、色々と意見が分かれると面白いんじゃないでしょうか。いずれにせよ「演劇とは何か」についてもう一度考えざるを得ない、そんな状況が生まれます。これはその絶好の機会。新しい事というのはだから価値があるんですね。ひとまず僕もあなたも、思いきり味わって楽しんで、その後でせっかくだから色々考えてみましょうか。 -
メモ2017.3.11
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2017.03.11 Saturday 14:10
殺陣はセリフとおんなじ
順番:
1.手を覚える
2.手の意味を理解する
3.相手役と交わる
4.緩急を加える
5.感情(テンション)を乗せる
6.抑制を加える
型がある以上千本ノックが出来る、などと最初は喜んでいたが、セリフと一緒でただ漫然と繰り返す事にはさほど意味がない、という事を知る。そもそもセリフというのだって台本に書かれた型じゃないか。型の中に嘘と本当があるのは、躍りも歌もセリフも殺陣も、全部おんなじ。合気道もおんなじ。本当を感じるためには、結局どれも相手が必要で、ひとりで繰り返している内は全てただのウソ。それはこの世のあらゆる事においてそうなのかも知れない。モノローグには観客が必要。演劇には観客が必要。わたしにはあなたが必要。わたしたちがお互いに感じ合えればウソはとても贅沢なホントになる。ものを感じなくなった世界では全てのウソが空々しい。 -
少し長く喋ります
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2017.03.04 Saturday 02:22
城山羊の会の山内ケンジさん。2015年に岸田國士戯曲賞を取った『トロワグロ』の映画化。新宿武蔵野館で見てきました。
思えば映画館でこんなに声を出して笑ったのは初めてかも知れなくて、それがこの作品だという事実に、少し凍りついてます。いま日本に生きている僕たちが目に焼き付けておくべき己の姿といいますか、まぁでも海外の方にも受けたという事なんで、なんでしょうか、文明社会なんですかこれは。笑えないですね。無関心だとか快楽主義だとか、何よりもその上に着ている服がまぁ見事にどれも醜くて、でも確かに僕たちが普段着ている服そのままで、笑えないけど笑えて、結果的には非常に笑えないです。少なくとも僕は。という訳で。at the terrace。おすすめです。
山内さんもトークでおっしゃっていましたが、ここまで直球ストレートな作品(「素直な作品」と山内さんは表現していましたが)だと舞台であれ映像であれ伝わるものにブレは少ないんでしょうね。演劇やる人にとっては不条理のない世界という言い方になりますか。どちらも伝わるものが変わらないのならば「残る」という点において映像に軍配が上がるような気がします。あ。でも割りと大事なとこ見過ごしてしまうひとも多いみたいで。それは映画という形式の持つ「軽さ」の弊害でしょうか。舞台は強制力が働きますから、その分見過ごせない空気が必然的に生まれますね。逃げられない、という点では舞台に軍配でしょうか。だから舞台をとにかく「軽く」していこうとする今の世相には大いに反対ですよ。
せっかくなので色々考えました。やっぱりあれですね。舞台と映像では、その行為が持つ「効能」がそもそも違うんでしょうね。舞台は言ってみれば「人に会いに行く行為」。それに対して映画は「絵を見に行く行為」だと、改めて思いました。
「人と会って話す」のが舞台ですよ。いや、客席ではもちろん喋らないですけど、発信者と受信者がそこで向かい合っている以上、なんらかの意思を提示することになるじゃないですか。拍手するとか目の前で寝るとか途中で帰るとか。その強制力の前に、もしかしたら傷つけるかも知れない覚悟で意思を提示するからこそ価値が生まれる。その時その行為は医療たり得る訳です。例えアンドロイド演劇であっても操作して幕を開けている人がそこにいればそれは同じ事。人に会いに行くって別に俳優に会いに行く訳じゃないですからね。言うまでもない事ですがそれが目的だったらライヴやコンサートや握手会に軍配。
それに対して映像は「安全」なんですね。あくまで「見るもの」。今回の映画のチラシにも「安全な場所からお楽しみ下さい」と書いてありました。まぁ絵ですから。傷つくもつかないもその時の自分次第な訳で、いつでも自分で決めれば良い。そのかわり、その気になれば、プライベートな、誰とも共有しないでいい大切なものを持つ事が出来るような気がします。これは舞台よりも強いんじゃないのかしら。あ、だからあれですよ。「安全な演劇」はすべからく滅びるんですからね。舞台が安全な場所になってしまったら大変。これはもう、声を大にして。みんなで気をつけていかないと。
さて、
喋ると止まんないですが、この映画のお陰で色々な事考えさせて頂きました。とにかく言えることはただひとつ。本当に見て良かったです。これ大事。好評につきしばらく上映が継続されるようなので、ご興味のある方は是非。ああ、こういうのはまさに映像ならではですね。そこ映像に軍配。うらやましい。
映画の詳しい情報はこちらからどうぞ。
↓
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