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兎に角
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2016.06.29 Wednesday 20:46エリザベート初日を終えました。作品だけでなく、お客様も劇場も、ビルさえも含めて1つの意思のある生き物のような演目ですね。ようやくその事が実感出来ました。何はともあれこれからです。長期公演であることの意義を生かして、ゴールを定めず方々探し歩いて見ようと思います。宝探しのようでね。ワクワクしますよ!
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我思えども、稽古は終わる
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2016.06.18 Saturday 01:55クズグズ言ってる内に稽古が終わってしまいます。明日から通し稽古→オケ合わせに突入しまして早くも本番体制です。冗談ですよね。まぁ、冗談だと思う事にして。商品化を焦らず、猪突猛進玉砕覚悟のトライ&エラーを続けます。空振りかホームランしかしたくないんです。
稽古休みは、トラムと新国立ハシゴ。コペンハーゲンしてあわれ彼女は娼婦。ちょっとしたヒントを貰う。材料がまだまだ足りない。とにかく足りない。ルキーニちゃんを探す旅は続く。 -
僕は、思う。
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2016.06.09 Thursday 21:35演劇は多様性を受け入れるための優れた訓練なんだと思う。作り手にとっても受け手にとっても。そのためにはまず人間の多様性を認め、或いは発見し、それと出会わなければならない。
どうすれば演劇表現は一色になる事を回避できるのか。まずその表現はファンのため、或いはある特定の観客層に向けられたものであってはいけない。もちろんそれも多様性の一つとして認められない事はないのだが、もし作り手と受け手の間で予定調和が確約されている場合、それはもはや前提として演劇である必要がない。
「待ってました!」「いよっ!」「これこれ!もっとたっぷり!」そういった楽しみ方はあくまで興行のための必要悪として存在するんであって、演劇の本質とは異なる。この認識を持つ事は極めて重要だと思う。
その作品が真に多様性を獲得するためには、つまり誰のものでもない演劇になるためには、自分たちの表現を何度だって疑ってかからなきゃならない。自分たちの表現を、自分たちの環境を、自分たちの常識を、自分たちの中に無意識に溜まった全ての因習を。
この困難に打ち勝った時初めて、演劇が生まれる。考え方の違う、好きなものが違うひとたちが一ヶ所に集まって、ほんのひととき、「我々に共通する何か」について考える事が出来る。そんな「場所」が生まれる。
それが、演劇、だと思う。 - ←back 1/1 pages next→