自分にしかない「良い部分」、というのは自分ではとても意外な所で積み上げられている。大抵はそれを逆の方から見て「悪い部分」としている。どんな仕事でもそうかも知れないが、特に俳優はそのことを受け止めて肯定してみせることが大切になる。人前で何かをする時は必ず良く見せようとする意識が働く。いかにそのニセモノの自分を打ち破ってホンモノの自分に辿り着くかが肝心になってくる。自分にとってそれは借り物なのかそうでないか、見極めるのは非常に困難な作業だけども必ずしなければならない。しかし、ようやく見極めたからといってただ剥き出しの心が調和に辿り着く事は決してない。それが集団創作の難しい所だ。そこでホンモノの自分を調和させるための様々な技術を覚えなければならない。日野晃著書「心の象」の中で故・初見良昭氏は「技術というのはそもそもニセモノなのに、それを使ってホンモノに辿り着くというのはおかしなものですね。」と笑う。ここにこそ真実があると思い、私は日々励む。技術はみなニセモノだけど、人間はみなホンモノ。見せたいのは技術ではなくて人間。ニセモノを使ってホンモノを見せるのだ。そこに辿り着いた時、それはようやく「本物の技」と呼ばれる。心を見つめ、技を磨く。