究極に差し迫った状態で何かを選択しなければいけない時、それが望むと望まざるとに関わらず自分の身にふりかかって来た時、「何もしない」という選択肢を取った人はとても不幸だ。
その事で抱える爆弾は、何かヘマをして恥かいたりあらぬ所で人を傷つけたりする結末と比べても、遥かに、絶望的に大きい。人との縁は切れても、自分との縁は切れないからだ。
そして一度抱えた爆弾は気づかない所でどんどん膨れ上がってやがて自分というものを破壊してしまう。爆弾を取り除いてくれるのは、正義じゃない、絶え間ない自分との向き合いだ。「何もしない」ことを選択した瞬間、人は自分と向き合うための大きなチャンスを失う。それが積み重なると、あっという間に人は自分を見失う。
思慮の末動けない事もあるだろう。考えているうちに時間切れになってしまったりする事もあるだろう。それでも諦めず、出来ることを探し続け、恥かいて、ひと傷つけて、少しでも爆弾が大きくならない内に自分と向き合えれば幸せだ。人間なんでも都合良く忘れられると思ったら大間違いで、忘れたいこと程一生つきまとうものだ。早いうちに自分が納得できる在り方を見つけて、爆弾が取り除かれる事を切に願う。
向き合った末に起こした行動は、どんなに些細で稚拙だろうが必ずどこかで誰かの目に留まり、縁として巡り、やがて返ってくる。出来るだけ多くの事に考えを巡らせて、その中から自分にしか出来ないことを見つけたらいい。これらは、演劇に志し、演劇に習う、僕の小さな小さな知恵の結晶です。俳優、ひいては演劇をやるんであればこれ以上必要なことは他にないと思うのです。自分と向き合わなければ人の心は動かせないから。
随分と偉そうな記事を書いてしまいました。とにかくどんな結論であろうと、自分だけは自分を愛せるように、頑張りましょう。