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『テロ』
2018.01.26 Friday 00:49
「演劇とは議論である」について2日目。テロ。アンチゴーヌからのテロは脳みそに潤滑油が残っていて良いです。

流石にすぐにはまとまりませんが、血圧だけは異常に高ぶっているので、少し書き散らかします。

共感、同化、同調、という作用が劇場にはあって、役者もそれを使うし、良い役者の条件として今でもメジャーです。ですが演劇が産まれた古代ギリシャの哲学者、プラトンはこの作用によって演劇が駄目になったと主張します。どういう事でしょうか。そもそも古代ギリシャにおいて演劇は哲学と同義で(作家はみな哲学者)、実生活の問題を解決するためにみんなで集まって知恵を持ち寄る「会議」でした。シアターの語源がテアトロンで、観客席を指す言葉。劇場の主体が観客である、というのはそのことです。

プラトンの批判を簡単にまとめると、共感、同化、同調作用により観客が受動的になってしまう。ということです。全員に主体性がなければ「会議」になりません。役者の感情にのめり込んでうっとりしている内に、何を話し合うべきだったのかを忘れてしまう。それでは社会が良くなりません。哲学者失格です。二千年以上前から、演劇はそういう矛盾と宿命を背負っていました。スタニスラフスキーさんもブレヒトさんも色々なやり方でその矛盾を覆す方法を見つけようとした人です。ですが、資本主義社会が訪れ、個人主義、自由主義を経て哲学そのものが力を失い、市場経済の中に組み込まれると必然的に演劇はその「会議」としての役割を追われます。この時代に僕たちはプラトンの批判に耐えうる演劇を産み出すことはとても困難なのです。


さて、で、それはいいんです。だからって今さら高尚な演劇なんて僕だってごめんです。この時代、高いお金を払って、どうして小難しい説教を聞く必要がありますか。同意します。

ただ気になることはあります。いつからか、「考えさせる演劇」と「楽しむ演劇」を分けて考える、というのが一般的になってきていることです。これはちょっと同意出来ません。なんとなくですが、「ストレートプレイ」と「ミュージカル」という言葉で分ける時も、単にそのくらいの意味で使う人が多いような印象を受けます。その考えのもとでは「共感出来るかどうか」が観劇の大切な要素になり、「好きか嫌いか」が満足の支柱になってきます。

例えば「考えるのが嫌い」。誰だってそうです。例えば注射が好きな人はいません、でも病気は治したいとみんな思います。だったら我慢して注射を打つのではなく、僕たちは痛くない注射で治す方法を考えなくてはいけません。それが演劇です。

劇場は「感じることで考える」場所だと僕は思うのです。「考える」ことと「感じる」ことを分けるのは危険です。それは「感じてもいないのに考える」、「感じたから満足して何も考えない」のどちらかをしか産みません。もっと生産的なのは、「感じたことによって考え出す」です。そういう知恵を先達の演劇人たちは残してくれています。

ここまできてようやく感想です。アンチゴーヌとテロは、実に沢山のことを感じさせてくれて、さらにその先の「考える」筋道を与えてくれました。痛くない注射でした。役者に強い感情を焚き付けさせながらも、常に甘くない議論から目を背けさせない、その清廉な態度を感じとりました。本来議論も哲学も、必ずしも娯楽から引き離すべきものではありません。「人が人を見る」という行為にはその全てが含まれるからです。ただそういうものを創り出すには強い信念と、卓越した技術と、何より観客への信頼が必要です。この時代にそれが実現するのはとても稀なことのように思います。二日間(たまたまですが)、それが見事に成功している演劇に立ち会えて大変勉強になりました。

そして今、当然思うのは三島由紀夫のことです。三島こそ究極「議論」のひとだと思うからです。黒蜥蜴がある種王道のエンターテイメントの衣を纏い、その下でとんでもない議論を吹っ掛けている。あまりにも切実で、煮詰まったその議論は、彼の命を奪う程でした。僕たちはそこに何をみるのか。日生劇場という華やかな場所で、三島由紀夫の「議論」がどこまで色濃く現れるのか、僕たちは試されているような気がします。
| 成河(そんは) | 観劇 | comments(9) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2018/01/26 1:35 AM posted by: サッチー
成河教授!熱いです!
お芝居して観劇、お芝居して観劇。
普通の人ならくたくたになりそうなスケジュールを成河さんはむしろ、これ以上ない充実感に満ちていますね。 

「テロ」
成河教授のおっしゃるように「会議」
内容はシリアスですがあんなに自分の良心と向き合い、相手の罪と向き合い、参加したのは初めてです。疲れましたがよい体験でした。成河さんが目を輝かせて、証人、検察官、弁護士の話に聞き入っている姿か目に浮かびます。
舞台と客席が一方通行な芝居ほど虚しいものはありません。

三島、深いですが。
大義のために生きて、大義がないやつは生きている資格がないと言うことなのかな。
黒蜥蜴は悪いやつですが、美しくない犯罪は許せない大義名分があるし。
そんな自分が許せなくてあの道を選んだのでしょうか。


2018/01/26 3:06 AM posted by: kou
こんばんは。

テロ。動きは殆どなく膨大な言葉によって進んでいく。緊張感の中、演者さん一人一人の言葉がグサグサ刺さり、引き込まれ、考えさせられ、感情揺さぶられ、とても充実した時間だと思いました。

そして「感じることで考える」という言葉。

なんかハッとしました。それでいいんだって。自分の見方、進歩ないなぁ、なんて思ってたから。。

今日は成河さんがいらしてて、そしてまさかのお席で心がてんやわんやでしたが、ちゃんと観劇に集中しましたですよ、はい。同じ作品を観て成河さんがどんな感想を持たれたのかとても気になっていたので、ブログ更新嬉しかったです♪
2018/01/26 8:08 AM posted by: ringhun
おはようございます。
はじめてコメント書かせていただきます。
成河さんの言葉、とても共感を持ちました。
「演劇とは議論するところ」
「テロ」はまさにそんな舞台でした。
「テロ」を見て、「これは演劇なんだろうか?」と、 舞台上で様々な論議を投げかける役者さんを見て、頭を傾げながらも、
「そのこと」についてずっとずっと考えずにはいられなかった私ですが、いつのまにか、観客の受動態から、参審員という主体になっていた自分。舞台までいって言いたいことが頭を駆け巡っていました。
これが本来の舞台の姿だったのですね。
どれだけ自分が受動的な見方に慣れていたのか痛感しました。
さて、「黒蜥蜴」ですが。
最初に観たときは、舞台の音楽のような流れにただうっとりしてしまいました。
2度目に観た時、黒蜥蜴と雨宮の心が入って来て、
3度目に観たとき、黒蜥蜴と雨宮の心の堪え難い孤独が同じもので、その2人の選択が明智と早苗であったことで、生と死に道を分かつ姿を見ながら、自分の心を振り返っていました。
それが三島のしたかった「議論」なのかよくわからないけれど、
あの作品の底に流れている痛いほどの心の叫びを次、どう感じられるかとても楽しみです。
2018/01/26 2:43 PM posted by: sasa
アンチゴーヌ、観たかったのですが諸事情により予定から外してしまった自分を悔やむこの数日です(^^;

「考えること」って、皆さん嫌いなのでしょうか?
確かに「TERROR テロ」を観劇していても、参審員の中には(興味がわかないのかな?)とか(集中力が途切れちゃったのかな?)と思われる「考えることを放棄した様子の方々」がいらっしゃいましたけれど、日常を振り返れば、「考える」ことと「感じる」ことを無意識の内に並行して行っていることが多々あると思うのです。

例えば、好きな人と二人きりで話せる機会があったら、頭フル回転で話すことを考えるでしょうし、話しながら相手の表情や仕草を伺って、どう思っているのか感じ取ろうとするでしょうし、その感じたことが次の話題を変えますよね?
そんな風に考えることと感じることはごく身近にあって無意識の内に繰り返していることなのに、こと劇場の中になると何故別の話になってしまうのか?私には不思議なのです。

劇場と日常の違いを上げるとすれば、その場で思ったことや感じたことを言葉で返すかどうか?だけではないでしょうか。ただ、劇場内でも言葉を発しないだけで、思ったことは空気感となって共有されているんじゃないかと私は思うのですけれど。
(だといいな、という願望も含めてですが 笑)

私はよく観劇後に「面白かった」という言葉を使うのですが、これは「笑った」という意味ではなくて「興味深かった」という意味合いで使っています。興味を持てば、惹きつけられますし、色々なものを感じて考えて思い返して反芻して別の角度から考えてみて・・・そうした行為全てが自分の中で楽しくて「面白かった」という言葉に落ち着きます。

確かに成河さんが書かれていらっしゃるようなジャンル分けの弊害や観客の変化を感じることも多いですし、上記に書いたような私が楽しいと思うようなことが、必ずしも他の方々にとって(娯楽という意味を含めて)楽しいこととは限らないということもあるので「一つの答え」に近づくことが中々難しいのですけれど・・・。

対象に興味さえ湧けば考えることは苦ではないでしょうし、意図しなくても五感がフル活動するのかもしれませんね。そういう意味で、「TERROR テロ」では演者の皆さんが卓越した技術で私のような法に疎い者でも引き込んで下さいましたし、観る方も、もう少しだけ心を自由にして、興味の幅を広げていけたら、日常の延長線上のような状態で考えたり感じたりしながら劇場という場所の中でも過ごせるのでは?なんて思います。

さて、黒蜥蜴。
恥ずかしながら三島由紀夫さんにも疎いので(^^;、まだ腑に落ちるところまで自分の中で咀嚼出来ていないのですが、前回拝見した時に明智さんの台詞で心に引っ掛かった部分があったので、また明日、楽しみに伺いたいと思います。



2018/01/27 4:54 AM posted by: marmot
「テロ」、観客参加型と聞いてはいましたが、客席に座った普段は演じる側の成河さんがとても深く考えさせられるような作品だったのですね。

4〜5年前に近所の大学主催の模擬裁判員裁判に参加した事があって、予め裁判員役として依頼された私達一般人5名が当日会議室で顔を合わせ初めて事件と罪状の概略を聞き、すぐに法廷を模した大教室に移り裁判が始まるという形でした。

被告人と被害者は共にホームレスで証人は会社員、これらの3役を芝居っ気豊かな現役弁護士、裁判長をゼミ教授、裁判官と弁護士役は初々しいゼミ学生達が演じ冒頭手続きから検察と弁護側による被告人尋問、証人質問までは台本ありで進行し、その後裁判員が各々質問して被告や被害者は役を保ったまま答えるというそこからアドリブ型式になります。最初に手を挙げたら裁判長役の教授が質問を許可するセリフを確認し始めて2分位観衆の前で手を挙げ続けてたのがちょっと辛かったですが、被害者に質問するとホームレスを演じている弁護士さんが「そんなのはっきり覚えてねーや」などと返して来て、その後審議を進めて行く中で、日頃関わる事のないホームレスの被害者、加害者が共に私たちと同じ社会を生きている一員なのだという実感を強くしました。

自分語りしてしまいましたが、素人同士でもあれだけ考えさせられたものが錚々たる俳優さんを目の前にしたらもっと凄い体験になるんだろうなあ‥と、過去の記憶が思い起こされました。他にもSST/生活技能訓練など、ロールプレイングという形で演劇には日常でも物事を主体的に考えるツールとして色々お世話になっていると感じます。

「黒蜥蜴」では、心情を登場人物が直接的に述べてくれて私も正面から受けとめ味わってます。今はちょっと隠喩や伏線をちりばめた筋の展開を捉えようと全力で感性を集中させる気力が一時的に萎えていて、こういう形が有り難いのです。三島作品のセリフは整然としていて理論的で役への感情移入が抑えられ、俳優さんがその言葉を発する事でむしろ三島本人が直接迫ってくるような感じがします。中谷さんの黒蜥蜴からは三島の強い美意識、井上さんの明智からは三島の聡明さやずるさ、そして成河さんの雨宮からは三島の屈折した悲哀という各々の側面が伝わってくるようで、しかも各人物少しずつ脇が甘くて笑えてしまいます。皆さんが公演を重ねる中でどのように変化していっているのか、もう一度観たいです。
2018/01/27 9:38 AM posted by: uroco
正直、黒蜥蜴もアンチゴーヌも感じてはいるんでしょうが、考えられませんでした。
テロぐらい、はっきりと目の前に考えるというのを突き付けられないと、ちゃんと考えることもできないくらい、自分の考える基礎体力みたいものが弱いんだなと痛感しました。
普段、考えてるようで全然考えてない。
むしろ考えることを放棄してきたことがたくさんある。

もっともっと演劇を見たいと思いました。
考えることを放棄せず、ちゃんと向き合える力をつけられるように。
2018/01/28 12:48 AM posted by: sasa
こんばんは。
「黒蜥蜴」東京公演前楽、楽しませて頂きました。
拝見する度に作品の密度が上がっていくように感じられて嬉しいです(^^)

(以下、作品の内容に触れていますので御注意下さい)




今日拝見していて、終演後にエグジットミュージックを聞きながら、ふと、(これはまるで三島さん自身の想いを込めたラブレター・・・この作品なら恋文と言った方がいいかもしれませんが・・・を読んでしまったような気がする)と思ったのです。

三島さんの事はあまり存じ上げないので的外れかもしれませんが・・・
三島さん自身が己の才の呪縛から逃れられず、明智や黒蜥蜴のような孤独を抱え、自分の愛や優しさが愛する相手を追い詰め破滅させてしまうことを知っているような・・・そう、まるで自叙伝でもあるような、そんな感覚を持ちました。

才がある者は自らがその才の魅力に支配され、己の中にある絶対感覚から逃れられず、余人と分かち合うことも、理解し合うことも出来ない。そんな孤独と苦しみの中、己の全てを賭けて対峙するに足る相手に出会えた奇跡。自分の才の全てと誇りを賭して戦うのが相手に対する敬意であり想いの全て。

本来、愛は幸福をもたらすもののはずなのに、二人の愛は、愛ゆえに相手を破滅させてしまう永遠の矛盾を孕む愛。
それは愛なのか、いや、これこそ純粋で美しい本物のダイヤモンドのような愛ではないのか。
そう三島さんに問いかけられたような気がしました。

相手の全てを敬愛するが故に破滅に向かう本物の愛と、ごく普通の偽物の愛。人間に生まれ、才に恵まれたが故の宿命。逃れられない苦しみ。この苦しみが三島さん自身のもがきのようにも思えたのです。



この作品、黒蜥蜴と明智は常に互角でなければいけない・・・とすると、黒蜥蜴は己の美意識というものがあるので表現として現す術がいくつか浮かびますが、明智の理知や探偵としての美学は表現として考えると表し辛いだろうなぁ・・・と感じました。
私の東京公演MY楽は終わってしまいましたし、皆様も今日が東京公演千穐楽ですが(おめでとうございます)、次の大阪の地に向かわれても、きっと御互いに深め合われるのではないかな〜?と楽しみにしております(^^)


2018/01/28 11:12 PM posted by: eris
東京千秋楽。お疲れ様でした。
母も成河さんを観て喜んでました。
次は大阪ですね。

お身体ご自愛くださいね。

eris
2018/02/02 3:38 PM posted by: none
成河さんの今回のブログを読んで、リラダンの短編『残酷物語』の掌編『サンチマンタリズム』の一篇を思い出しました。青年が己を理解してくれない恋人に放つ台詞です。既に絶版になった作品ですが。因みに彼は『アクセル』と言う戯曲も残しています。上演された事があるのかは分かりません。

-- それに程度の差こそあれ、誰も彼も当今では、何事にまれ物を感じると言う愚を避けている様に思われます。やがて何処の大都市にも四五百の劇場が建つ様になって欲しいものですな。其処では人生の日常の出来事が現実よりも遥かに巧みに演じられますから、もう誰一人己自身で生きると言う苦労なんかしなくなりますよ。熱狂したり感動したりしたい時には特別席に陣取る事です。その方が簡単でしょうよ。良識の見地から申して、そんな具合にやる方が遥かに結構な事ではありませんか?……何の為に、何れ忘れてしまうに決まっている情熱に骨身を削るのです?……半年も経てば多少とも忘れられてしまわぬものが何処にありますか?

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