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-- 舞台 ----------------
2018
『FULLY COMMITTED』
main_img.jpg 作:Becky Mode
翻訳:常田景子
演出:千葉哲也
6/29(金)-7/22(日)
@DDD青山クロスシアター


『Thrill me』
IMG_20171230_011524.jpg 作/音楽/脚本:
STEPHEN DOLGINOFF
翻訳/訳詞:松田直行
演出:栗山民也
12月
@東京芸術劇場シアターウエスト


-- 映画 ----------------
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■『チワワちゃん』
原作:岡崎京子
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監督:大九明子

2019年公開


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続・俳優のメモ
2017.11.27 Monday 02:37

演劇は集団創作だから、ワタシの表現も、ワタシの出会い直しも、無条件に必要とされる訳ではないヨ。

「お前の気持ちなんてどうだっていいよ」について。

作品そのものが真に「表現」と呼べるものになるために。個人ではなく、「集団」が表現しているように、「作品」が表現しているように見えるために。


個人が「にせの感情の明快さ」で押しきる自己顕示は、前提として表現と呼べるものではない。しかし、一人一人の個人が「生活で取りこぼした漠然とした感情」を拾い上げることは、集団創作にとって本来歓迎されるべきことで。まずは、個々の「いまここにいる実感=ワタシとの出会い直し」。集団がそれによって繋がり、「いまここにいる実感」の複数になったとき、集団が何かを表現するようになる。それが本当の化学反応。「個性」なんてものを、自分と向き合うこと無く無前提に信じてはいけない。与えられた環境を通して、自分と向き合う。向き合ってる人間に感化されて、誰かも向き合う。向き合われた個人の複数。拾い上げられたたくさんの個人たち。の集まり。戯曲はそのあと。出来れば配役もそのあと。実際のところ、それさえあれば、既存の戯曲がなくても、十分に伝わる。戯曲はそのための媒介。この関係が、観客席まで含めた一つの大きな集団創作にまで広がる事が出来たらなあ。劇文学の上演でその関係を作ることは今のワタシたちには難しい。ありがたがっちゃうから。みんなで。よく知らないくせに。表現は過程。演劇は過程。上演は媒介。それで初めて「やる行為」も「みる行為」も表現。だから意味があるというお話。だから感想には自信を持って下さい。何か話したくて仕方なくなったら、それがアナタの表現。ただし、「批評」とは区別すること。それは専門家の仕事です。


安直な「自己表現否定派」の意見として、「作品に奉仕する」というのがある。しかしこの美談は、結局のところいつも、技術で塗り固められた「キャラ芸」でしか実践されない。そこには概念化された虚構の自己しかいない。取りこぼした「曖昧な自己の感情全体」と能動的に向き合う努力を放棄する言い訳に過ぎない。その表現は、相手に狙った感情を喚起させることを目的としたもので、作品を盾に自己も他者も決めつける。その態度は技術の高低に関わらず、周囲に伝播することはない。作品を隠れ蓑にして、役を言い訳にして自分を隠し、何も見せず、何も貰わない。上手ですけど、あなたがいまここで生きていなければ、作品はいまここで生きていない。

例外的に、自己顕示する事自体が生を実感する事とイコールなひとがいる。輝いているけど、ひとり。集団創作には向かない。主役をやらせるか、ソロデビューさせるか。


ともあれ、


ワタシたちに必要な関係。劇場ないしは演劇の場で、ワタシたちがいま生きているよね、という確認。俳優はその時、灯台のような役割をするのかも知れない。
| 成河(ソンハ) | 雑感 | comments(11) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2017/11/27 4:02 AM posted by: *
読解力が足りなくてすみません。
生活で取りこぼした漠然とした感情というのは、自己認識力を高めて過去に立ち返り感情を呼び起こして収穫するということですか?それらによって、感情の引き出しが増えていくということですか?
2017/11/27 4:04 AM posted by: *
また成河さんの思う良い俳優というのはどのようなものですか?

私は説得力のある俳優が好きです。たまにいるにせの感情・借り物の感情を使う方は少し苦手です。説得力のある方達は、心から感情を動かして一貫性のある演技をしてくださっていると思っています。わたしの好きな説得力とは、成河さんのいう、ワタシとの出会い直しをした結果、なのでしょうか…

表現考・俳優考たのしいですね。もっと文字としてアウトプットして、わたしたちにお話を聞かせてください(*^^*)
2017/11/27 11:40 AM posted by: songhacho
〉*さん

おっしゃって頂いた、「自己認識力を高めて過去に立ち返り感情を呼び起こして収穫する」は俳優が必ずやらなければいけないこと、或いは優れた俳優が無意識的にやっていることです。いま思っているのは、それがいつ、どのように「起こるか」です。「収穫」されたものが「表現」として現れるのではなくて、「収穫」という行為そのものが「表現」なんだということです。つまり、表現することで収穫される。この順序が正しい。ところが、現実は色々なことを急いてきますので、「収穫された確かなもの」しか表現に乗せなくなっていく。あろうことか、それを良しとしたりする。その時、表現している最中は、ただ知ってることを伝えているだけの時間で、やる側とみる側で相互に何かが起こるということはなくなります。それはもはや映像作品で良いのではないかと思います。

向き合ったから説得力があるんじゃなくて、向き合ってる「最中」にだけ説得力があるんです。だから舞台には、新人もベテランも、玄人も素人も、プロもアマチュアも本来的にはないんです。そういう言葉たちは、あくまで娯楽と興行が求める基準に過ぎません。「過去も未来もなく、いまここ生きているなと感じる」時間とはそういう時間で、そういう時間に意味があるのが、劇場で過ごす時間なのかなと思います。

良い俳優、についてはいつかまたゆっくり考えます。
2017/11/27 12:52 PM posted by: ゾエア
うお〜。なんかすごいですね...。難しい。。
すごいな...汗
成河さん、なんか稽古中とかに何かあったのかなぁ?と思いました。
人が集まると何かしら何かはありますよね。。

そういえば、四葉のクローバー見つかりましたか?

何回見てもおもしろい文章書きますね!!
成河さんはお名前河入ってますけど、滝とか泉とかのイメージですね。あと青い炎の芯部分とか清流、青竜のイメージがありますよ!
私は自分の感想に自信全くないけど、これからは信じていきたいです。批評文とかも好きなので、影響受けがちなんですが..。

そうそう!!
まだ言ってるんですが、ついこの間福岡市民会館のそば通ったんですけど、そういえばほぼ敷地内に公園あるんですよね。
で、その敷地内に小さい舞台があって、昔は結構浮浪者の家とかあってちょっと治安悪かったんです。昔、公園内で自殺した人いたよなあ...って思い出してたら....サム?...!!?とか思ってどんだけ偶然重なってるんだ!?と驚きました。
なんか現実が予知夢みたいな...汗

また話戻りますが、私が好きな歌手の人は、人自体もいろいろ矛盾した感情があるからみんなが集まって1つの答えっていうのはない。だけど、矛盾してるけど集まると化学反応が起こるのが楽しいんだみたいな事言っておりました。
オリオン座〜♪の人です。
リンクにライブ映像貼ってみたんで、お時間ある時ご覧になって下さい〜。お忙しいのにすいません。
2017/11/27 1:43 PM posted by: *
何度もお返事頂いておりながら、また解釈をふっかけてすみません。

なるほどです。
では、収穫したものを引き出しから取り出して使
っていくのではなく(もちろんそういうものもあると思いますが)、演技するという行為にあたった時に、「過去に立ち返り再び感情を呼び起こして収穫」した段階で「表現」として成り立っているということですね。収穫=リアルに感情を思い起こす、つまりそこに生きている実感なのでしょうか?

また、どれだけの事を引き出しにもっているかではなく、新たな作品にあたった時にどれだけ自分に向き合い収穫するのかという…。それらをリアルに近い状態で使うことが大切だということでしょうか?

劇場において繋がるとは、それらをこなしてくれた、俳優たちの熱量によるものなのかなあと思いました。
2017/11/27 6:24 PM posted by: サッチー
また異業種の方の例になりますが。
バイオリンの葉加瀬太郎さんのトーク。
「年間、何本もライブをやって、自分的に納得出来るのは年に一回あるかないか。(ステージ全体の演出など含めて)あそこはこうすれば良かったと常に自分に問いかけている」
、、、を見て。
前向きに自問自答している成河さんを思い浮かべました。
アーティスト、演者さんの中にはもちろん
「やった!今日も最高のステージだ!」
と諸手をあげて打ち上げる人もいるでしょうが。

現状維持なんて言葉は辞書になく、絶えず高みを目指すからこそ、葉加瀬太郎さんも成河さんも「観たい、聴きたい」と思えるのでしょう。
(ごめんなさい。実は葉加瀬太郎さんの生演奏聴いたことなく詳しくないのです)

観る人、自由に感じて良いと成河さんが許して下さっていると解釈した上で。
ファン初心者〜つい最近まで、成河さんと言う俳優はこんなに心を鷲掴みにしてまるで役が憑依しているのか?と思っていたのですが。
「役者さんによっては自分が泣きじゃくってしまったり、ウキウキしてしまって、客はそれをみて貰い泣きや貰い浮かれしてしまい、よくよく考えるとその場に流された感が否めないわ。でも、成河さんは、違う。そんな小手先で観客を感動させているんじゃない。ある意味、冷静だ。どこか絶妙なバランスで憑依ではなく、現実とお芝居のはざまをみせてくれてる」と最近、感じました。

ロズギル劇中でも座長が言っていた。
「客は自分が観たいものが観たいんだ。現実が観たいんじゃないんだ」みたいな。

勝手な自分の解釈、長々とすみません。
でも、数年来の自分の解釈が変わったので。
また新しい目で成河さんをみられて楽しみです。

2017/11/27 11:56 PM posted by: songhacho
〉*

たくさん考えて頂いてありがとうございます。書いて下さったこと、全てその通り同意します。くみ取って頂いて感謝します。「引き出し」という言葉がそもそも苦手です。「過去に収穫されたもの」も役に立った覚えがありません。そういうものが求められる場は自分にはどうも向かないな、と感じます。だから旅をし続けようと思っています。

〉サッチーさん
ありがとう。嬉しいです。
2017/11/28 1:26 AM posted by: keiko
演劇に対して常に真っ直ぐに向かっている成河さん、きっと何かにぶち当たってしまったのでしょうね&#8264;

ファン歴は浅いですが、成河さんのお芝居に魅せられ、お芝居と真摯に向かう姿勢に魅せられた訳で、誰が何と言おうとご自分のスタイルを崩すこと無く貫いてくれたらと思います。他の誰かがひとり歩きをしたとしても。舞台を観ればわかります。

今は、考えて悩んで答えを出すしかないのでしょうが…答えは出ないかもしれませんが。でも止まってはいけないのですよ。そんな気がします。

情けないコメントですいません。
2017/11/28 12:06 PM posted by: しろ
人の思いや感想は多種多様ですけど、
思いが違う人に伝えようとすることは、おしつけですよね。
ただ私は、成河さんのお芝居に救われた、気がしました。
2017/11/29 12:19 AM posted by: nokko
演劇は、集団創作なんですね。

でもその前提には、個人の「いまここにいる”自分”との出会い」が必須だと…。逃げずに、自分を見つめる作業と、自分を認識する過程がなければ、”活性化した個人”が存在しなければ、集団の変化(化学反応)などあり得ないということでしょうか。
役者さんの世界については、素人なのでわかりませんが、今ここにいる自分との出会いと、そのプロセスそのものを重視するところは、まるでカウンセリングのようですね(自分と向き合う。)
つまり、実人生において、私達が躓いたり悩んだりした時に、そこから抜け出したり、越えたりする術でもあると思います。

私達も実人生で、色々な役割をもらい演じながら生きていますが、役者さんの役と同じように、実人生での役割も私そのものではありません。自分についている色々な役割をはがしても尚残る”わたしの存在”というのは、ある意味、役者さんのそれと同じなのではないでしょうか?違うのかな?
舞台を観ることで、そんな人の姿を客観視できるように思います。
鏡がないと、なかなか自分の姿は見えないのです。
鏡で見せてもらって気づく、役の奥にあるものを感じる。
自分の中の、役割の奥にあるものも…。
でも、目的が先にあるわけではありません。好きだから観るのです。
2017/12/06 10:18 AM posted by: marmot
久しぶりに訪問させて頂きたくさんの記事が更新されていて、いつも公演前後にばかりブログを拝見していましたが、考えてみるとオフの方が書く時間はあるという‥‥当たり前の事に今気付きました!
もう黒蜥蜴の準備に突入ですよね(^^

自分と向き合いたい個人の集団‥‥とても興味深いです!個人が寄せ集まって芝居とか関係なく互いに毎日ただ影響しあっている集合体があって、何週間か経って集団が熟成したあたりで初めて戯曲を選ぶところから始めるみたいなプロセス、あったら面白いなあと思いました。

 観客としても、ひとつひとつの表現の背景に演者や演出の皆さんの疑問や考察やこだわりがひしめき合ってるのを感じる瞬間はとても楽しいです。アフタートークなどで役者さんが役や演出や戯曲に対して何だこれは?と幕が開いてもまだ考えて続けている思いに触れたりすると嬉しくなります。
 大劇場でも役者さんの強い思いの部分と共演の方がそれに反応している様子は、場面や役の重さにかかわらずやはり客席まで飛んできて、生で観る演劇って本当にいいなあ‥‥とつくづく思います。

今日はどんなお稽古してるのかな‥‥と思いつつ年明けの黒蜥蜴を楽しみに待っております。
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