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正しさは不純だ
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2018.10.13 Saturday 18:23
久しぶりに長期の映画の撮影中です。日本の映画、演劇、芸能、それぞれに強烈な、そうそうたる先輩方に囲まれて、久しぶりに、役者の初心を刺激されます。世代論になってしまいますが、僕らも含めた下の世代は「個人主義」に疑いがなく、それを堅守するための「正しい姿勢」というものをつい身につけがちで。でも個人が育つ前に個人主義に逃げ込むと大変な事になるのです。そして芸事において個人が育つなんて一体何十年かかると思ってんだよ、という話です。もちろん人によりますが。所謂強烈な先輩方というのは、「正しい姿勢なんてどこにもない」ということを教えてくれます。ただ正直で、ただ傷ついて、そして笑っている。役者にプロなんていらないんだ、とまるで言っているようです。でもそれじゃ困るので、そのためのある時代の教え方が「なんか面白いことをしろ」だった訳です。
役者は永遠にそういう生き物だという真理は認めた上で、でも同時に僕たちは制度を夢見る世代でもあります。強烈な人たちの精神が次の世代に生かされるかどうかは、いまの僕たちの世代にかかっているなぁと感じます。そして、「なんか面白いことしろ」を超える言葉を僕たちは見つけなきゃいけない。
僕は、強烈な人たちと久しぶりに触れ合い、「ただひとと共に在れ」。その事を思い出しました。思い出して。役者という仕事が。少し好きになりました。とてもとても。楽しくて。有り難い時間です。これからも。 -
歩く歩く
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2018.09.22 Saturday 22:37
京都、撮影の休みに歩く歩く。歩く。祇王寺。
欲しいものは何でも手にいれたい清盛くん。激推しだった白拍子の祇王ちゃんを側に置いて放さない。でもある日風のように現れた新人、仏御前の歌と躍りにメロメロんなって、あっさり祇王ちゃんぽいされちゃう。永遠が聞いて呆れる清盛くん、諸行無常カード使います。ぽい。
捨てられた白拍子の祇王ちゃん、傷心のままに妹とお母さんと三人、尼になってここで暮らしましたさ。かわりに寵愛を受けた新しい推しの仏御前、祇王ちゃん最後の歌「咲く花も枯れる花も散ってしまえばみな同じ〜See you in Autumn」に心打たれて目覚める。あのおっさんいつか私も捨てるわ、で、仏御前、なんと清盛くんとこを飛び出して自分も出家して三人を訪ねます。それから四人、生涯ひたすら念仏を唱えて暮らす。唱えて暮らす。何てことない清盛くんも、のち、盛者必衰。
の
お寺。 -
真打ち
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2018.03.27 Tuesday 14:28
花が嫌い、という人は少数でしょうが、人混みが嫌い、な人は多い。花に罪はないけど、花見が苦手な人は結構いる。花を見る、という本来個人的な営みが、見知らぬ人との共有を強いられる事で嫌なものになる。個人的な営みを邪魔しないまま、公共に開かれる、そのためにはある文化的な成熟が必要だ。花見と演劇は、結構近い。花見が上手いひとは、きっと演劇も上手い。 -
Oh, baby
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2018.03.24 Saturday 21:10
ドラマのゲスト枠よりかは少しだけ長めにいられる映画の撮影。撮影だって舞台と同じで、ほんの少し気心が知れて誰かの心に触れる度、少しずつ、自然な振る舞いが産まれてくる。表現の始まりはいつも衝動で、衝動の出所はいつだって他人の中にしかないのだ。孤高のプロフェッショナルを気取ることなく、表現をする以上常に他人と共に在りたい。それが自分をよく知る手がかりにもなる。恥をかかなきゃそこには至らない。それほど素晴らしいことはない。もっといたい。 - ←back 1/1 pages next→