News
-- 舞台 ----------------
2018
『Thrill me』
IMG_20171230_011524.jpg 作/音楽/脚本:
STEPHEN DOLGINOFF
翻訳/訳詞:松田直行
演出:栗山民也
12月
@東京芸術劇場シアターウエスト


-- TV ----------------
NEW
『関門時間旅行〜海峡都市で、会いましょう。〜』

インターネットTV
※生中継の模様を、常時コチラから見られます。


-- 映画 ----------------
NEW
■『チワワちゃん』
原作:岡崎京子
脚本:二宮健
監督:二宮健

2019年公開

■『美人が婚活してみたら』
原作:とあるアラ子
脚本:じろう(シソンヌ)
監督:大九明子

2019年公開


-- DVD --------------
■Disney実写映画
『美女と野獣』

ルミエール吹き替え
DVD & Blue-ray
レンタル、発売中

■『脳内ポイズンベリー』
佐藤祐市監督作品
DVD & Blue-ray
レンタル、発売中


-- 雑誌、他 -----------

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唐組 吸血姫
2018.06.03 Sunday 10:56
銀さんが出るならと久しぶりの紅テント。花園神社。学生時代ぶり?くらい。かも。巨大な物語だった。巨大過ぎた。こんな日本語の使い方があるのを忘れてた。まいった。47年ぶりの再演ですって。誰にでも出来ないやれるもんならやってみろの戯曲。スケールは勿論、なんというか戯曲のスタミナが凄い。そして、怪演てなんのことですか?みたいな異形が普通の人たち。ご子息、ご息女の躍動と疾走感。血のはなし。国のはなし。たまらないコトバのご馳走。特権的肉体ね。それもこれも、あの台詞ありきなんだよな。コトバがカラダを作る世界。やっぱり素敵。
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日常
2018.05.18 Friday 10:44

KAAT×サンプル
前進座
修羅天魔
ハングマン

合気道
稽古
暗記
暗記
暗記
らくがき
暗記

凸凹
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シベ少
2018.05.13 Sunday 20:14

いやはや

天才過ぎる
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ふじのくに せかい演劇祭
2018.05.07 Monday 13:03

静岡へ。しゅうさんからの宿題だったオスターマイヤーも、クロード・レジも観れなかったが、なんとかマハーバーラタは間に合った。生まれてきて。演劇に出会えて。良かった。この人たちのク・ナウカを観てプロになろうと思った。あの日の事を思い出して泣いた。自在さが深まり、菩薩の笑みを滲ませた美加理さんにハッとしてまた泣いた。日本で僕がファンと呼べる唯一のひとです。国内市場におもねるよりも、世界に誇れるものを創らなければいけない。あらためてそう諭されたような気がします。
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1984
2018.04.27 Friday 10:55
『1984』@新国立劇場小劇場。終演後、呆然として言葉が出ない。頭の中をぐちゃぐちゃにされる。それなら僕たちはどうすれば良いというのか。という。絶望的な思い。やり場のないモヤモヤ。ののちにふと。「ああ。どうすれば良いのか考え続ければいいんだ」と、導かれる。終演後の永遠にも似た1分間。どうすれば良いのかと考えている自分に、この作品の意義を感じる。人間は簡単に考えることをサボってしまうから、踏みとどまろうとした誰かが演劇を始めたのかな、と、そんな事を思う。

「考えさせられる良い作品」じゃ済まされない。演劇を使って、演劇の枠を飛び越えて社会に、日常に還される。バリー・タークもTake me out もそうだった。こんな作品がもっともっと観たいし、創りたい。こういう作品が、3ヶ月でも半年でも上演を続けていられるようになってはじめて、演劇は演劇のためのものではなく、そこに暮らす全員のためのものになる。ファンも「全通しなきゃいけない天国のような地獄」から解放される。実際それを煽っているのはこちら側という無限地獄。こういうのは、ユーチューバーやニコニコ、ボカロ世代にも観て欲しい。観て感じた事を教えて欲しい。広く繋がれないなら演劇は滅びたらいい。額縁に入れられた高級趣味の演劇から、まずはこちらが出なきゃいけない。僕たちが「ファンによる前売り即日完売」を目指す限り、そんな日は一生来ない。もう一度言う。これは別に誰のせいでもないんだ。でもそれは裏を返せば僕たち全員の責任だということ。


補足でつまらない話をすると、小川絵梨子さんの装置を駆使したトリッキーな空間の演出に唸った。実は真骨頂じゃないかなと思った。戯曲が持つ不気味さや温度、不信や不安、時間の歪み、空間のズレ、他あらゆる要素を100%以上に引き出していたんじゃないか。役者ファーストだけじゃない、演出小川絵梨子さんの奇術師たる側面が存分に発揮されて、結果、戯曲の世界に引きずり込まれる。役者や装置を目で追うのではなく、内容に脳みそが釘付けになる。それが出来る役者も凄い。役者の技術の中でこれが一番凄いし大変なことなんだということにいい加減みんな気づいて欲しい。こういう仕事をこそ尊敬してあげて欲しい。という職業贔屓。そうなるとあとは舞台上は魔法のオンパレードだった。舞台上が1つの脳みそになって客席を飲み込んでいた。息が出来ない。絵梨子さん。凄かったっす。
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Take Me Out 2018
2018.04.25 Wednesday 22:57
夏に一人芝居をやる劇場、青山DDDクロスシアターで。『Take Me Out 2018』。初演は未見。

何でそんなに翻訳劇をやるの?という質問への1つの答えに、昔から、「日本には若者目線できちんと現代の社会について考える演劇作品が少ないから」というのがあって、今までは何いってんの、そんなことないし、あるし、と思って来たけど、これを観ちゃうと、口をつぐむ他ない。日本では「社会についてものを言う」態度と、「人を楽しませる演劇」とがこれほど溶け合うことはない。そこには、「考える」も「感じる」も両方あって、そもそもそんなもん2つで1つなんだという当たり前の事を思い出させてくれる。僕たちは病的に「考える」と「感じる」を分けて使うが、出口は「同時にやる」ことにある。そして、演劇という行為がつまり「同時にやる」ことなのだ。その時大事なことは、「平易な言葉で考えて」「我が事として感じる」。俳優、演出、全スタッフのそこへ向かう努力が見事に結実していた。

僕が感想書くと、どうしてもこんな感じになっちゃいますけど、つまりそんな素晴らしい作品でした。

こうやって、僕たちの社会を網羅的に語る事が出来る、そしてそれを当事者として実感する事が出来るのは、演劇に許された確かな力だなと、上質な娯楽だなと、改めて信じさせて貰えた。

5/1まで。青山DDDクロスシアター。当日券あるようです。民主主義につまづいた事のある人なら誰にでも分かる話。つまづいてる事に気づいてないひとには、自分のストレスの理由がちょっと整理される話。ストレスがないひとには、なんだかちょっと感動出来る話。
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バリー・ターク
2018.04.24 Tuesday 02:38
KAAT大スタジオで。相変わらず関東でも指折りの素晴らしいブラックボックス。客席数も最適。濃密で親密で逃げ場がない。大劇場でかけてしまっては台無しになる作品というものがある。今日のはまさにそれ。このキャストでこの演目をこの空間で。公共劇場の気概と良心を見せて貰ったような気がして胸が熱い。

バリー・ターク
by エンダ・ウォルシュ

アイルランドだった。自分の国のことをこんな風に表現出来るなんて、なんというかその知性も感性も、歴史の重さも、言葉を失う。で、あらためて知らされるその深刻さに、息が出来なかった。もちろん、意味をかえてどんな世界にも置き換えて観れるんだろうし観て欲しいんだろうけど、それもこれも、まず、「あの国で、このお話」だからこそ産まれる強度がないと成り立たない。ファンタジーこそ、根っこには直視出来ないリアリティーが必要なんだと、あらためて。で、その強度をバシバシ感じられたという事は、翻訳で、こんなに離れた国で。すごいなー。製作チームの本気を感じた。惜しむらくはもっと色んな種類のお客さんが観れたらいいのに。これはもう誰のせいでもない。席数に限りがあるが故の演劇のメリットと、それを巡ってタコツボ化すること。或いはそれを避けて極端に市場から離れること。そのどちらかになってしまうのは何なのか。良いものが多様に受け取られるためにはどうするべきなのか。何をすれば良いのか。もう良く分からない。開かれた演劇、なんて夢のまた夢。見るけどね。夢。
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赤道の下のマクベス
2018.03.20 Tuesday 16:55

撮影で根岸季衣さんとご一緒して、今日平田満さんを拝見してお話して。心のなかでつかさんにご報告。つかさんの愛した俳優はみな激しくて人間臭くて愛らしい。透明感がある、は俳優には似つかわしくない言葉ですよね。生きているからこそ垂れ流される、澱や体臭を感じる。役が生きている。「泥臭い」という宣伝文句が例え流行らなくなったとしても、役を生かすのはいつだって、そういう澱や臭い。

そして鄭さんの作品には150%それが必要で、というかそれが主成分で、新国立のピットではやはりそれが爆発する。優しくて厳しい、哲学と文学の視座が、泥の中から立ち上ってくる光景に泣いた。「選んだのは自分」というのは、ひとごとではなかった。素晴らしかったでした。
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『テロ』
2018.01.26 Friday 00:49
「演劇とは議論である」について2日目。テロ。アンチゴーヌからのテロは脳みそに潤滑油が残っていて良いです。

流石にすぐにはまとまりませんが、血圧だけは異常に高ぶっているので、少し書き散らかします。

共感、同化、同調、という作用が劇場にはあって、役者もそれを使うし、良い役者の条件として今でもメジャーです。ですが演劇が産まれた古代ギリシャの哲学者、プラトンはこの作用によって演劇が駄目になったと主張します。どういう事でしょうか。そもそも古代ギリシャにおいて演劇は哲学と同義で(作家はみな哲学者)、実生活の問題を解決するためにみんなで集まって知恵を持ち寄る「会議」でした。シアターの語源がテアトロンで、観客席を指す言葉。劇場の主体が観客である、というのはそのことです。

プラトンの批判を簡単にまとめると、共感、同化、同調作用により観客が受動的になってしまう。ということです。全員に主体性がなければ「会議」になりません。役者の感情にのめり込んでうっとりしている内に、何を話し合うべきだったのかを忘れてしまう。それでは社会が良くなりません。哲学者失格です。二千年以上前から、演劇はそういう矛盾と宿命を背負っていました。スタニスラフスキーさんもブレヒトさんも色々なやり方でその矛盾を覆す方法を見つけようとした人です。ですが、資本主義社会が訪れ、個人主義、自由主義を経て哲学そのものが力を失い、市場経済の中に組み込まれると必然的に演劇はその「会議」としての役割を追われます。この時代に僕たちはプラトンの批判に耐えうる演劇を産み出すことはとても困難なのです。


さて、で、それはいいんです。だからって今さら高尚な演劇なんて僕だってごめんです。この時代、高いお金を払って、どうして小難しい説教を聞く必要がありますか。同意します。

ただ気になることはあります。いつからか、「考えさせる演劇」と「楽しむ演劇」を分けて考える、というのが一般的になってきていることです。これはちょっと同意出来ません。なんとなくですが、「ストレートプレイ」と「ミュージカル」という言葉で分ける時も、単にそのくらいの意味で使う人が多いような印象を受けます。その考えのもとでは「共感出来るかどうか」が観劇の大切な要素になり、「好きか嫌いか」が満足の支柱になってきます。

例えば「考えるのが嫌い」。誰だってそうです。例えば注射が好きな人はいません、でも病気は治したいとみんな思います。だったら我慢して注射を打つのではなく、僕たちは痛くない注射で治す方法を考えなくてはいけません。それが演劇です。

劇場は「感じることで考える」場所だと僕は思うのです。「考える」ことと「感じる」ことを分けるのは危険です。それは「感じてもいないのに考える」、「感じたから満足して何も考えない」のどちらかをしか産みません。もっと生産的なのは、「感じたことによって考え出す」です。そういう知恵を先達の演劇人たちは残してくれています。

ここまできてようやく感想です。アンチゴーヌとテロは、実に沢山のことを感じさせてくれて、さらにその先の「考える」筋道を与えてくれました。痛くない注射でした。役者に強い感情を焚き付けさせながらも、常に甘くない議論から目を背けさせない、その清廉な態度を感じとりました。本来議論も哲学も、必ずしも娯楽から引き離すべきものではありません。「人が人を見る」という行為にはその全てが含まれるからです。ただそういうものを創り出すには強い信念と、卓越した技術と、何より観客への信頼が必要です。この時代にそれが実現するのはとても稀なことのように思います。二日間(たまたまですが)、それが見事に成功している演劇に立ち会えて大変勉強になりました。

そして今、当然思うのは三島由紀夫のことです。三島こそ究極「議論」のひとだと思うからです。黒蜥蜴がある種王道のエンターテイメントの衣を纏い、その下でとんでもない議論を吹っ掛けている。あまりにも切実で、煮詰まったその議論は、彼の命を奪う程でした。僕たちはそこに何をみるのか。日生劇場という華やかな場所で、三島由紀夫の「議論」がどこまで色濃く現れるのか、僕たちは試されているような気がします。
| 成河(ソンハ) | 観劇 | comments(9) | trackbacks(0) | pookmark |
『アンチゴーヌ』
2018.01.24 Wednesday 22:08
上手い人の本気の芸を味わうのは幸せだ。そしてその芸の全てが純粋に演劇のためだけに余すところなく注がれ、それがどこまでも積み上がった時、観ている人間は役者も登場人物も飛び越えて、その戯曲が血を吐く「議論」そのものに叩き込まれる事になる。全ての世間的な個人が消え失せて、「わたしたち」について考える時間が訪れる。ああ、これが演劇だ。と思わされた。この議論を経て、僕の生活が大きく変わるわけじゃない。でも、「Yes」と言う人の真意に目を凝らし、「No」と言う人の小さな声に耳を傾けてみよう、とほんの少しだけ思える。もう少しだけ責任を持って生きてみよう、という気になる。そして、僕もこんな風に上手くなりたいと心から思う。そんな気になる。なりました。ありがとうございました。
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